美大の実技指導とはどんなものなのか、を簡単にご説明します。なお、私の経験は絵画でありかなり昔です。
自分で指導を受ける
美大の実技指導というのは、一言で言えば自分から求めないと与えられません。
正確に言えば、定期巡回のように制作部屋に講師や教授が来て声を掛けるとともに指導を行うこともありました。しかし、それだけでは受験の為に通ったアトリエの指導よりも時間は短いように思います。
では指導がないのかと言えばそうではありません。講師や教授の元に行き、作品をみせるなり制作場所まで連れてくるなりして指導を受けるのです。
講評の時間も重要なのですが、日々指導者と接して折にふれて指導を受けようとしなければ良い指導は受けられません。どんどん積極的に絡んでください。
同期による講評
講師の指導だけが上達の道ではありません。同期に作品を見てもらい、講評を受けることも大切です。
世間的には芸術家は線が細く繊細でメンタルが弱いと思われている節もありますが、美大の講評を見ればそれが間違いだとわかるでしょう。
隣で描いている友人から「なんでこの色にしたの?まえの方が良かったのに」「意味が分からない。意図はなに?」「あの雑誌に乗ってる作品見てないだろ?」というのがストレートに飛んでくるなど日常茶飯事です。
これはもちろん悪口などではなく、作品に対する評価です。描いた本人がどう思っていようと、友人にするそういう評価を下されることはよくあり、それは受け入れなければなりません。
講評されることに慣れる
おそらく、美大受験のためのアトリエや絵画教室、あるいは予備校にいっていればすくなからず講評の機会はあるはずです。
ですが、そういった予備校などでは講師の気遣いが強いことが多いです。生徒を傷つけないようにという配慮や、まだ講評に対する耐性がないという判断からかもしれません。
美大や芸大ではもちろんそんな遠慮な皆無です。ダメなものはダメで、良いものは良い。全体が良くても部分がダメで、部分がダメでも全体が良い。こういった評価の方向性を定めつつも、非常に具体的な指摘がなされます。
最初は「ツライ」「キライ」「嫌だ」「なんであんなことをいわれるのか?」のように思い、自身を打つ砕かれることと思います。人前での講評で羞恥心を感じることもあるでしょう。
ですが、学外にでれば絵の見方を分からない一般の方からもっと辛辣な意見を聞くことになります。正しい批評もあれば、まったく間違っている難癖もあるのです。
大学内で講評に慣れ、自分の作品がどう見えているのかを肌で知ることで、これらに対応できるようになります。場合によっては対応しないことができるようになります。
講評があってこそ美大の授業は成り立つので、そこから逃げないようにしてください。もちろん、反論はしてかまいません。それがしっかりとした反論内容であれば更に講評の質が高まるのですから。
しかし、感情に任せた反論は最悪です。相手をねじ伏せようとする演説も最悪です。
講評は袋だたきが目的ではないのですから、講評を通じて学ぶべき点を学んで欲しいと思います。